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褒められるだけでは、救われない一部の自閉症の方 [自閉症 雑文]

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褒められるだけでは、救われない一部の自閉症の方
 あなたには、障害がある。言われたことはわかっていても、色々な
刺激に反応してしまい、
 すぐに、言われたことと違うことをしてしまう。
スケジュール表でも同じことだ。ちょっとでも気になることが
みえてしまったり、聞こえてくると、気になってしまう。
  それは、記憶の中でも起きることがある。ささいなストレスで、
整理されていない、自分の記憶の中から、勝手に飛び出してきて、
自分を苦しめるのだ。
そうすると、スケジュールどころではなくなる。
 自分は、自分に要求してくる人たちの期待に応えられないことを
よく知っている。
 何年か、人生を送ってきたけど、今はそう思っている。
 今風にいうと、きっと自己肯定感がないという状態なのだろう。
  周囲の親切な人たちは、そんな、ぼくに、自己肯定感を持たせようと、
ささいな、できたことを褒めてくれる。
  でも、周囲の人たちがささいな事と思っているように、ぼくにとっても
些細な事なのだ。
  褒めてくれても嬉しくもないし、時には、現実をさらに突きつけられているよう
で、悲しくなることもある。
 ぼくは、本当は、ちゃんと人生をおくりたいのだ。
 でも、今のきらびやかな社会では、一人では難しい。
 公園やいろいろなところで遊びたいけど。行く前からトラブルが起きるのはわか
りきっている。
 ぼくが、社会でちゃんと行きていくためには、高性能の信号機と標識が必要だ。
 時には、一緒にブレーキを踏んでくれる人ならもっといい。
そんな都合のいい人は、いるはずがないので、仕方がないから、今日もぼくなり
に精一杯生きる。
 わからないかもしれないけど、ニヤニヤしているかもしれないけど
 本当に、一生懸命生きているんだよ。[猫][猫][猫]
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自閉症とつばため [自閉症 雑文]

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自閉症とつばため
  自閉症児者や強度行動障害を有する者の中には、
口の中につばをためるという行動を持つ方がいます。
 つばをためていても、その行為自体に危険性や反社会的な意味合いはありません。
 ですから、一般的な専門家の言う「誰にとっての問題なのか?」という定義に
よると、問題行動からは除外されてしまします。
 ただ、つばをためる行為をもつ、多くの自閉症児者は表出言語を持たない場合
が多いのです。
 ぼくは、危険性はないが、なにか悩んでいたり、人生に不満や先行きに不安を
持ち、慢性的に情緒が不安定になっている、自閉症児者が、だれに助けをもとめ
ていいのかわからず。もんもんとしながら生きている自閉症児者がとっている行
為に思えてなりません。
 これは、ぼく個人の勝手な解釈であり、客観的、科学的裏付けはありません。
 
 なので、自分で立証してきました。
 つばをためる自閉症児者は、遅延模倣はあるものの、即時模倣があまり得意で
はありません。この時点で、いろいろなコミュニケーションから逸脱し、孤立化
を促進することになります。
 なので、動作模倣だけは、なるべく早く、療育においてできるようにさせてあ
げたいと考えています。
 一般的な行動療法やABAを使えば、動作模倣の取得はそんなには難しくはない
はずです。
 じつは、この動作模倣の応用だけで、つばためは、解決するのです。
 口形模倣の初期には「あ」という形を模倣させます。
 みなさん、つばをためて「あ」と発音できますか?
 できないでしょう?
 「あ」という音を発したり、口形を作るためには、口いっぱいにたまったつば
をゴクンと飲み込まなければできないのです。
 ただ、大切なのは、重度の自閉症者と模倣ができる関係は、よほどのラポートが取れている関係でもあります。
 キーマンとなる療育者としかできないとう場合も少なくありません。
 ただ留意しなければならないのは、ムキになって、模倣をさせるのではなく、
発達段階に応じた、日頃の地道な適切な療育の積み重ねが大切だということです。
 自閉性が強いと、これに即時の興味関心にあった教材というニーズが生まれます。
 
  瞬時にそれに対応していくのは、たしかにたいへんなことです。
 でも、やれれば、やっただけの価値は保証できます。
 表情や意思の疎通性が格段にあがるからです。
 ぼくが、つばためをあえてとめるのもこのためです。
 つばためを止めたところで、有意義な人生がおくれるようになるわけではありません。
  でも誰かといっしょにそれをなしえることで、その子の人生が大きく変わるのです。
そういう意味では、療育者の意味合いはとても重要なのかもしれません。
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自閉症児の笑い [自閉症 雑文]

自閉症児の笑い
自閉症児にも、当然ですが喜怒哀楽を表す感情を持って生まれます。
ただ、感情を表す。伝えるということに関しては、苦手であったり、
障害に近い不自由を持っています。
自閉症児が物を投げてしまったり、人を叩いてしまったりするなど、
社会的規範に違反するような行動をとると、当然のごとく、叱られます。
「Aくん、なにをやっているのですか?そんなことはしてはいけません!」
「やめなさい!」
そこここで、よく見かける光景です。
  そんな時に、ヘラヘラ笑っている自閉症児をよく見かけます。
  「悪いことをしたから、怒られているのでしょ!」
   「もっとまじめに聞きなさい!」
一瞬、真顔になりますが、やっぱりヘラヘラ笑っています。
子育てや支援する側は、その顔を見て怒りが沸点に達します。
「いい加減にしなさい!」この後は、ご想像にお任せします。
さて、ヘラヘラ笑っている自閉症児。
本当に相手を馬鹿にして、ヘラヘラ笑っているのでしょうか?
最初に戻って推理してみたいと思います。
自閉症児が物を投げたり、人を叩くというのは、なんにも理由がなく
やることは、絶対ありません。その時点で、困って困って困りまくって
いるのです。
自分ではどうしたらわからなくて、感情も抑えくきれなくて、衝動的に
やってしまっている行動なのです。
しかも、投げたり、叩いたりすることは、いけないことだという理解は
持っています。
ゆえに、自閉症児は、
物を投げれば投げるほど、
人を叩けば叩くほど、
自分はダメな人間だなあ。
やっぱり、ぼくはちゃんとできなない子どもなんだ。
お母さんに認められる、いい子にはなれないなあ。
とどんどん、自分を責め、負のスパイラルに陥っていきます。
こうして、ヘラヘラ笑う、自閉症児ができあがります。
まっとうに人生をおくっている自閉症児は、笑い方が違います。
自信に満ちた。可愛らしい笑い方ができます。
そして、叱られると、ちゃんと暗い顔をして、さめざめと泣くことができます。
ヘラヘラ笑いをしているときは、怒られていることは、おそらく理解
していると思います。
でも、普通の叱り方や注意の仕方では、自閉症児は理解できません。
障害特性にあった、理解のさせ方が求められます。
ただ、特筆すべき注意点があります。
わかりやすいルールを提示するのは、きちんと落ち着いてからすべき
だということです。
そのためには、
「困っている自閉症児に落ちつてもらう」
という短期的な支援目標が一番になります。
その目標、ゴールに向けて、誘導するための、交通案内、道路標識、
さらには誘導が必要なのは言うまでもありません。
(どうも肝心なところが書きずらいんだよねえ 笑)


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発達障害に対しての視覚支援についての私見 [自閉症 雑文]

発達障害に対しての視覚支援についての私見
自閉症児の多くに、知覚過敏があり、視覚優位性がある事は、
疑いのない事実です。
ゆえに、視覚に重きを置いた、構造化が有効であるとされています。
その一方で、視覚支援を行っても、少しも落ち着かない、パニックが
減少しないというケースも、実際にあります。
逆に視覚支援が上手く機能している時は、どんな状態なのでしょう。
きっと自閉症児はとても落ち着いていて、流れるように、示された行動
カードをこなしていると思います。
問題となるのは、不安定な時や、パニックを起こしている時です。
不安定な程度が比較的軽い時や、知覚過敏、衝動性の高くない、自閉症児は、
タイムアウトを要求したり、自分が落ち着くためのアイテムや遊びをカードを
使って適切に要求するでしょう。
しかし、イライラが慢性化していたり、知覚過敏、衝動性の高い自閉症児の場合は、
要求したカードや、選択させたカードが示すものや行動が、本人が落ち着くための
行動とは、必ずしも一致しない。と考えています。
  混乱したり、パニックを起こしたりしている自閉症児に対して、保護者や支援者は、
早く落ち着かせてあげたい。なんとかしてあげたいと思います。
ですから、自閉症児が好きだと思うことをおもいつくかぎりのことを、
絵カードを通して選択させようとするかもしれません。
絵カードや写真は、自閉症児に対して、とてもわかりやすく作られています。
見通しも持ちやすいのでしょう。
何をしたらよいかわかりやすいゆえに、それをしなければいけないと、
見えているように、ぼくには見えるのです。
 
  パニックを起こしていたり、不安定になっている、自閉症児の要求は、
おそらく、とてもシンプルです。
  「ぼくは、とっても困っています。早く落ち着きたいです。」
言葉のある自閉症児も、ない自閉症児も共通の願いであり、要求だと考えています。
そんな自閉症児に対して、知らず知らずのうちに出してしまっている。命令、指示が、
落ち着かせるための手段として有効であるとは言い切れません。
逆効果である場面すらあるのです。
重篤な知覚過敏、衝動性を持つ自閉症児に対しての視覚支援は慎重に慎重を期して
使用すべきであると考えます。


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自閉症とちゃんと手をつなごう [自閉症 雑文]

自閉症とちゃんと手をつなごう
外で自閉症児を見かけることは、そう珍しくなくなりました。
外出時、自閉症児の多くは、手をつなぐ ではなく、手をつながれた
状態で見かけることが多いと、ぼくは思っています。
手をつながれた自閉症児は、後ろ向きに寄りかかり、なすがまま状態です。
一方的に引きずられるように歩いています。
  ところが、時が経ち、自閉症児も大きくなり、自我が出現し、下界との
アプローチを始めます。一方的につながれた自閉症児たちは、一斉に反乱を
おこします。
ちょうど、クレーンによる、要求が増えるころだと、ぼくは考えています。
自我の出てきた、自閉症児にとって、思うように動かないクレーンほど、
腹立たしいことなないのでしょう。
思い通りに動かないのなら、一人で動こう。さらには、どうやって思い通りの
クレーンになってもらおうか などと、無関心をよそおいながら、実はとんでも
ない知恵を働かせていることが多いようです。
  人とやりとりをしながら、外の色々な刺激や誘惑に負けず、支援を受けながら
地域生活をおくるためには、お互いの協力は不可欠です。特に、街の中の交通ルール、
社会的規範は、自閉症児にわかりやすいようにはつくられていません。
  自閉症児が、行きたいところに行きたいと思っても、そこに行くまでのルールを
きちんと守って行くためには、支援者の支援が不可欠であり。お互いの共同作業で
あることが必須です。
 最低限、守ってほしいルールは、手をつなぐなのです。
これは、支援者が、手を掴むであっては、成立しません。自閉症児が自ら納得して、
つなぎ続けることができて、はじめて成立するのです。
  発達障害の方に、何か修正してほしいことがあると、◯◯しちゃダメです。
という指示をする光景をよく見かけます。
卒業式の練習などでは、一定時間立ち続ける必要があります。ちょっとでも座って
しまうと、「立ってください」という指示が出ます。発達障害児は、とりあえず、
立ちますが、しばらくすると座ってしまいます。本来、体幹がしっかりしていない。
などの要因がりますが、普通では通用する指示が、ちょっと違って理解されている
ように思えます。
  立って、言われたから、立ちました。ぼくは座りたくなったので、座りました。
というのが、発達障害児の理解なのではないのでしょうか。
ちょっと理解のある方なら、見通しを持たせるためにタイマーなどを使うかもしれ
ません。しかし、これは、特殊な光景を生みます。
だったら、論理的に正しく、発達障害児に理解させるしかありません。
彼らは◯◯し続ける。という行動が苦手です。
し続けるための、見守りと支援が必要なのです。
ぼくは、タイマーを使うのが面倒くさいので、座ろうとしている行動の直前に
「頑張れ!」と言って、お尻をポンと押してしまうかもしれません。うまくいけば、
その人が「いいよ」というまで、頑張って座ってくれます。もちろん限度はありますが
 さて、手をつなぐ、ですが、自閉症児と療育的関係を築く目的で支援する
なら「手をはなしては、いけません」という、支援に置き換えます。このことにより、
スムーズにいっしょに色々な所に出かけられるようになります。
 こちらが、無理矢理手をつないでいてもダメ。自閉症児に手を離されてもダメなのです。
これらができるようになるには、お互いに必死に練習するしかありません。
練習時期は早ければ早いほど楽だと思います。
 自閉症児は、コミュニケーションに障害あり、こじれやすい特徴を持っています。
 相手の手に対しては、特に不信感を持ちやすいのです。
では、こじれてからでは、無理なのか?いえいえ、まだ大丈夫です。
 次は、こじれちゃった場合も手をつなぐ方法を考えて行きたいと思います


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自閉症を叱って育てる [自閉症 雑文]

自閉症を叱って育てる
しかる。とは「叱る」と書く。たまに、「叱る」と「怒る」を
ごちゃ混ぜに使う人がいる。
教育に必要なのは「叱る」であり、「怒る」ではない。
「叱る」は、相手の非を指摘、説明し、きびしく注意を与える意。
腹をたてているわけではないので、「優しく叱る」という表現も
可能と辞書にはある。
ちなみに「怒る」とは、不満・不快なことがあって、がまんできない
気持ちを表す。腹を立てる。とある。
  注意という行為は、単なる表現ではない。確実に相手に伝えてこそ、
成り立つ行為である。
  逆に、「怒る」とは、腹を立てている自分が、我慢できずに表出して
しまっている。単なる表現である。しかも、怒るなどの、情緒系表現の
始末の悪さは、単なる表現にとどまらず、気持ちをくんでくださいとか、
わかってほしい。などという、都合の良い気持ちが含まれていることが、
よく周囲のひとを不愉快にさせる一因だと、ぼくは考えている。
兎にも角にも、怒る という行為は、教育でも療育でも、全く必要がない。
さて、「叱る」。である。「叱る」の派生語として「叱咤激励」という言葉
がある。辞書では、大きな声で励まし、元気づけることとある。
ぼくは、例のごとく、勝手に辞書を書き換えて使用している。
それは、こうである。
大きな声で励まし、ちゃんと行動してもらうこと である。
ただ、勘違いしないでほしい。ただ、大きな声で叱咤激励すれば、自閉症が
ちゃんと行動できるわけではない。あたりまえだが、聴覚に感覚過敏をもつ
自閉症がほとんどであるし、ことばの理解や表出、コミュニケーションに大きな
ハンデを持っているのが自閉症である。ちなみに定型の子どもに対してでも、
ちゃんと叱ることは難しい。しかも、相手は自閉症である。そのギャップを
埋めるのが、専門性と技術であると考えている。


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B子のこだわり [自閉症 雑文]

B子のこだわり
B子は、名刺大のカードが大好きだった。厳密には、周囲の人
はB子が大好きであると思い込んでいたし、かつこだわりでもある
と考えていた。こだわりであるということは、無理矢理、奪いさろう
とすると、パニックを起こしかねないということである。
  さて、B子がデイに通い始めて数ヶ月後、B子はカードを欲しがら
なくなった。
事例としては、B子が、カードというこだわりから、どのような関わり
の中で、変容していったのかを述べるのが本流なのだろうが、ぼくの
興味は別のところにあった。
デイサービスは、当然のごとく毎日ある。子どもが、病気や家の事情で
突発的に休むことはよくあることだが、当然、スッタフも休む。
その日はこともあろうが、複数のスッタフが休みだったのである。
その時点では、B子ちゃんは、あまり手のかからない、良い子である。
という評価を得ていた。なので「ちょっとゴメンね」という感じで、
ほっておかれる時間が長かったのである。
  B子は、ほっておかれるたびに、そのマグマを着々と溜め込んで
いたらしい。
そして、おそらくは、臨界点を超えたのであろう。
B子は「これとっていい?」と、これ見よがしに、スッタフにアピールした。
  きちんと向き合っていない、申し訳なささもあったせいか、
やっぱり、というのが、当時のぼくの感想だったと思う。
  こだわりは、人との間違った関わりの中で生まれるが、
人との適切な関わりの中で、その必要もなくなる。
 で、B子は、どうなったか?
 問答無用で、速攻でお返事をいたしました。
 「カード触る人は、◯◯なしです。」
 「カードさわりません。」とすぐに応えたB子は、とっても素敵な笑顔で即答しましたとさ。


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抱っこ [自閉症 雑文]

抱っこについて(自閉症の対人関係障害)
自閉症は、対人関係において、多くの障害を持つ。乳幼児期においても、
抱っこされるとこと嫌がったり、あやされたりしなくても、黙々と一人
で遊び続けたりする。気がつくと、周りの子と、色々と違う点ばかりが
目立ち、療育機関につながる。
定型発達の子どもは、乳幼児期に母親との間で、あやされたり、いない
いないばあや、模倣遊びなどの沢山のやり取りの中で、その後の発達に
必要な多くのことを学ぶ。
自閉症は、一次障害のせいで、この経験が著しく欠如している。
ゆえに、この欠如している部分を追体験することが、療育になるという
考え方は、一部、正しい。ただ、焦るあまり、強制的に抱っこすれば、
変容を起こすという、極端な考え方もある。「抱っこ法」などは、これに
準じた考え方なのかもしれない。
実は白状すると、本を片手に「抱っこ法」もどきをやっていたことがある。
正式には◯先生の厳命でやるしかなかったのだが、
で、その効果はどうだったのか?
ぼくも、子どもも汗だくだったのは、覚えている。その子との治療関係も
良好だったと思う。ただ、それが、その半強制的な抱っこのおかげかというと、
著しく?なのである。
  さて、抱っこである。ぼくの周りには、実は抱っこ好きの自閉症が沢山いる。
一人として「抱っこ法」という専門的な療育など受けたことのない、子ども
達である。
  不安な時、困っている時、そして、パニックを起こした時にも抱っこ、
おんぶをせがむ子どももいる。自画自賛しているのだが、この時点で、
自閉症児に対する、初期の目的は達成していると、ぼくは、考えている。
  ただ、ここからが、大きな問題なのだ。どうつきあってきたら、こういう
状態になったのかを詳しく説明できなければいけないのだと思う。


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自閉症 雑文1 [自閉症 雑文]

自閉症の問題行動
自閉症の問題行動は、多々ある。自閉症の問題行動は、本人にとっての
問題なのか?関わる側にとっての問題なのかが、今の世の中では問われる
らしい。
ぼくにとっては、どうでもいい話なので、ある屁理屈をつけることでケムに
巻くことにした。
ぼくからは、自閉症とともに暮らすことを放棄しないという。看板を掲げた
のである。
ともに暮らす同居人ならば、多少、同じ同居人に対し文句を言っても差し
支えないだろうという、非常に稚拙な論理である。ただ、自閉症児の関わっ
ている主な施設は通過施設である。そこの担当者は、将来のためにこうで
なければならないという論理はよく使うであろうが、その言葉に、責任を
もつ覚悟を持って語っている人は、非常に稀である。
  ここから先は、同居人の独り言である。
  自閉症研究の成果で、自閉症を地域の中で自己実現を目指すためには、
健常者のより一層の自閉症の理解が不可欠であることが、世の中では、
高らかに叫ばれている。至極もっともなことである。しかし、その反面、
自閉症者の理解とその環境整備に関わる家族と支援者の負担を現実的に
きちんと考えた方策を立てているといえるだろうか?
  答えは否である。
  それができていれば、インクルージョンなどと、叫ばなくても、お互い
もう少し楽しく共存することが可能であろう。
しかし、実際には、ぼくの周りには、自閉症をもっと理解しなければ、
もっと適した環境を提供しなければと、他の家族のことを犠牲にしたり、
通常より、厳しい勤務を強いられている人たちばかりである。
このまま、ただ、自閉症への理解と、より適した環境整備を強要するのならば、
本当の意味でのインクルージョン、インクルーシブ社会は来ないと、
ぼくは思っている。
そういう意味では、今の現状にものすごく危機感を覚えているのだ。
  ぼくは、自閉症に活かされている。過去も自閉症に活かされてきた。
これは、ぼくの中では、まぎれもない、事実である。
そして、今後もそうでありたい。
ただ、これからは、ぼく一人では、ダメなのだ。
もっとたくさんの人に、自閉症は面白い。関わってみたいという。
そういう文化を造らなければいけない時期に来ていると思っている。
  これから記すことは、ある小さな文化を創世する過程になれば
いいなあと考えている。
  ぼくからは、けっして白旗は掲げない。不退転の覚悟であることを
  ああ ついに書いてしまったのかな?


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